バブル時代の昭和50年代後半から60年代前半にかけては、焼き鳥・寿司・スナックなどの飲食店が10数件立ち並び、射的やスマートボールで4~5件、パチンコ店、ストリップ劇場もあり、さらには芸者置屋が15件、述べ在籍芸者数は70名以上と、夜の発展の一途をたどりました。
「下駄の音が朝まで鳴り響く」という言葉になるほど賑わい、バブル後期はいずれの飲食店、旅館もレーザーカラオケが設置され遊興の基本として流行しました。大湯歓楽の中心通り、すずらん通りは朝になると子供がお金を広いに行くなど「環境に負けない」が小学校のスローガンになっていた逸話もあります。タクシーの往来も夕方から早朝にかけて途切れることは無かったと言われています。
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